堂本剛が音楽を語る時、”アイドル”と”アーティスト”という表現に拘る理由。
「人間が商品」=KinKiKids
「音楽が商品」=堂本剛
という図式を打ち出す理由。
そしてライブ中、バンドメンバーのことを
「ジャニーズ事務所のタレントが、これだけの人たちと一緒にできるっていうのは、
本当にすごいことなんですよ!」と、
しつこいくらいに何度も何度も言っていた理由。
飲み込めない・・・と思うことを、
意識して逆から考えてみた。半ば最初は無理矢理に。
ものすごく自分に都合のいい、解釈で考えてみた。
そしたら、今までに思いつかなかったことが見えてきた。
本当にこうなんじゃないか・・・と思うことがいくつも出てきた。
堂本剛は、”アイドル”ではいたくないと言う。
でもその
”アイドル”が嫌というわけではなく、
”アイドルの作るもの”という先入観で音楽が聞かれてしまうことが嫌なのではないか・・・?
”ジャニーズ”というのは、今やもしかしたら芸能界一有名な事務所となっている。
そしてその世間的なイメージは、
「歌って踊るアイドル」「何よりビジュアル重視」
私達は彼らに興味をもって、
内面的な部分も見てきているから決してそればかりではないのも知っているし、
グループによっては全く踊らない、全然違うグループがあることも知っている。
それは、剛さんだって当然。
でも、世間一般のイメージとしては、表面的な部分だけを見たりして、
今だにそう思う人が多いのが事実。
極端な例で言えば、
例えば新しい歌うグループができたとして、世間の人は誰もそのグループのことを知らない。
とすれば、普通は歌そのものを聞いて初めてその評価をされるけれど
もしそれが「ジャニーズ事務所」ということが知られれば、
歌を聞かない時点でも「あぁ〜、あんな感じか」と、
もうそこで人々にはある程度、頭の中に像ができてしまう。
それくらい、今や”ジャニーズ”は良くも悪くも中身よりイメージが先行するもの。
KinKiKidsもその、ジャニーズから生まれた。
いろんなことをマルチにこなしたが、
成長するにつれて当然、それぞれの得意分野や
やりたいこと、やってて楽しいこと、方向性がはっきりしてくる。
KinKiKidsの場合、コンサート内でソロコーナーを設けた時に彼ら自身が選ぶように
堂本光一=踊り
堂本剛=歌
たくさんのことをやってきたけれど、
それが1番自分を表現しやすい、自分らしい、と感じたのだと思う。
他のグループよりも、
音楽ばかりをやってきたミュージシャン達と接する機会が多かったKinKiKids。
そんな中でずっと見失っていた自分を見つけるヒントを得、
踊りをつけるよりも、歌だけを歌う方がより自分を表現しやすいと気づいた剛さん。
最初に彼はやはり、KinKiKidsという場にそれを求めようとしたのではないだろうか。
しかし、そこは2人組。
自分だけを、自分を表現することだけを考えていたのでは、コンビは成り立たない。
長年一緒にやってきた相方が、
歌だけを前面に出すより、踊りも含めた方が自己を表現しやすく
そして輝くことは、誰よりもよくわかっていたはず。
それに加え、伝統的なジャニーズの環境はたまたま、
堂本光一が選んだ”踊り”を前面に出し、
それを引き立てるような種類の”ステージ衣装”を数々使うなど、
どちらかといえば堂本光一が表現したい世界を表現しやすい環境だった。
逆に、堂本剛が表現したいの世界を表現するには前例もなく、やりにくい環境だった。
(かといって、剛さんがその環境を否定していたわけではない。
それを証拠に、その伝統的な環境で、今や第一線となって輝くことができる相方を
「ほんまアイドルやなぁ」「王子様やなぁ」と
愛情のある、誇らしげな言い方で言う姿を何度となく見た。決してバカにした言い方ではない。)
そんな時、ソロでデビューできるというチャンスがあった。
ソロであれば、自分のやりたいことを存分にやっても、相方の魅力を消してしまうことはない。
だから、それをまずやってみようと決めた。
最も自己表現ができそうな歌を前面に出して、勝負をしようと決めた。
そうでなければ、ソロでやる意味がなかった。
そして勝負するからには、ちゃんとした評価がほしい。
肩書きの上に成り立つ、うわっつらの評価ではなく、批判でもいいから「音楽」自体への評価。
(これは、音楽に限らず、本気でその道で生きたいと考える誰もがもつ当然の感情なのだと思う。
光ちゃんも、K.Dinoと称して正体を隠し、
ネームバリューの上にない曲の評価を求めることがあった)
しかしそのためには、世間のイメージにも、事務所の環境にも
全てに立ち向かっていかなければならないことを意味していた。
イメージから先入観を持って音楽を聴かれないためにはどうしたらいいか。
真っ先に思いついたのはまず、ジャニーズ=アイドル という世間一般のイメージから
できるだけ離れるということだったのではないだろうか。
彼は、思いつくことをどんどんしていった。
見た目的に、髪を刈り上げ、ヒゲを生やし、”KinKiKids”でいる時とは全く違う衣装を着た。
中身も、”ジャニーズ”で歌われてきたものとは全く違う、自分色の強い、独特なものを。
”希望”ではなく”現実”を。
過去の歴史の中で誰もしなかったことを、
社長に怒られようとファンに何を言われようと
スタッフに「そんなのダメだよ」と言われながらも、いっぱいやった。
時間が限られる中で精一杯、過去の流れに反抗した。
しかし結局、そんな短時間の中での一人の精一杯が、何十年という歴史を簡単に打ち破れるハズはなく・・・
そして、自分だけがソロをやっていることに遠慮もあったし、
ファンが解散を心配していることも知っていたから・・・
ジャニーズを、KinKiKidsを、過去を、全く感じさせないライブにするべきではないという思いも
捨てられなかったのではないか。
それができない現実も感じていた。
「アイドルのくせに」と言われることはやはり多かった。
何をするにも時間が足りなかった。
華やかなセットは一切やめにした。
(音楽を聴かせるため、顔は見えないくらいの照明でもいいと彼自身は言っていた)
1曲も踊らず、生歌を通した。
ウチワは作らなかった。
人前でタバコを吸った。
でも・・・
事務所の言う通りの、バンド編成でやった。
ファンのために、「KinKiKids」で書いた自分の曲をいっぱいやった。
ファンのために、必要以上に相方のこともいっぱいしゃべり、相方の曲も歌った。
自分が思い描く100%で勝負ができなかったことは、もしかしたら全く勝負をしないことより
フラストレーションがたまることかもしれない。
中途半端で終ったことが、次への意欲を余計にかきたてることにつながった。
2年後にまた、チャンスが訪れた。
二度とそのフラストレーションを感じることは嫌だったから、すぐに返事はせず
「こういうことが可能なのであればやりたい」という条件を出した。
ここで彼が1番に求めたのは”時間”ではないかと思う。
2年前にしたソロ活動は、100%で勝負はできなかったけれど、無駄ではなかった。
完全に破れはしなかったけど、壁にひびは入っていた。
歌を前面に出した”異例”なことは、事務所の流れも少しずつ変えていた。
周りの見方も少しずつ変わっていた。
2年前にかなわなかったことを、重点的に努力できた。
自分と同じようにソロコンサートも果たしたことで、
相方への遠慮も、ファンへの遠慮もいらないと思えた。
自己表現だけに専念できる環境が、2年前より整った。
自己表現を応援してくれる環境も、2年前より整った。
2年前にできなかったところをもっと闘って、進歩した。
2年前にやってみて、無駄だと思った反抗をやめて素直に自分を出すことにし、また進歩した。
結果が、〜First Line〜。
ほぼ100%に近い形で自己表現ができたであろう。
その結果の充実感は、彼をステージで今までで1番輝やかせ、今までで1番幸せにした。
願わくば、今度は”KinKiKids”という場所が、今回のソロの場に続くよう。
相方とともに新しいKinKiKidsを形成してくれることを心から願う。